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以前知り合いで、「善意って言うけど基本偽善だよね。なんだかんだ言って自分が気持ちよくなるためにやるんじゃん。」と言っていた人がいた。

確かに自分が気持ちいいという部分は否定はしない。
コンビニや街でゴミをつい拾ってしまうのは自分のプラットフォームが汚れているのが許せないから。
明らかに困っている人に声をかけるのは自分の目の前でスムーズに歯車が廻っていないのは気持ちが悪いから。
消防団に入ったのはあきらかにおかしくなった歯車やインフラをどうどうと修復できるから。一生懸命何かをしたかったから。
善行といえそうな行為は思い起こせばやはりどれも自分のためといえる。

しかし、それを他人に善か偽善かという判断をされるのは全く意味がわからない。
そもそもその時はいちいち善行だと思っていないからだ。おそらくほとんどの人がそうだろう。

だから「偽善だよね」といわれても次元が全然違うのでなんと言っていいのか困ってしまう。当時の意識に善かどうかの判断基準がない物に、さらに輪を加えてそれを真だ偽だと影で分析するのは勝手だが、口に出さず自分の中でやればいい。
的外れなレッテルを勝手に張られるのは不愉快である。


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